彼の才能をもってすれば、空冷でもきっとやり遂げられたでしょうから。 (「経営に終わりはない」)技術の極限に挑むスピリッツ。
HS氏の空冷エンジンへの執着は単なる虚妄によるのではなかった。 それにはS氏なりの技術哲学があったのである。
一言で言えば、問題を本質において解決するということである。 ここには迂回的な手段を許そうとしなかった極端な理想主義がある。
それは常に一貫していたようで、K氏もオートバイを設計していた頃のS氏の言葉を次のように述懐している。 「回転運動に決まっているじゃないですか」と答えると、「だから、おまえらには発明ができないんだ。

ちゃんとしたチェーンは、原点から動いて原点に戻る。 これすなわち往復運動じゃないか。
頭を切り換えてもう一度やり直せ」と言う。 その大ヒントに従って、みんなでいろいろ勉強したら、本当に完全無欠なものができてしまった。
そんな例はゴマンとある。 (「HSの人生」)動力伝達には「原点から動いて原点に戻る」運動が最も効率がよく正確であるはずである。
それなら回転していることすら、余分なことになろう。 そういう発想で開発すれば完全なものができるという信念は合理性に裏打ちされている。
K氏は「そんな例はゴマンとある」と言っているが、若い頃のS氏のひらめきや発想の切れ味は、技術者には神業とも見えたに違いない。 空冷に関しても、S氏は同じように考えていたのである。
水冷エンジンの場合、エンジンを直接に冷却するのは水である。 しかしその沸騰した水を冷やすのは結局は空気である。
それなら、直接にエンジンを空気で冷やせば良いではないかという発想であった。 水を介して冷却するのは、技術が不完全だから余分なことをしているに過ぎない。
完全なエンジンは必ず空冷になるに違いないということになる。 S氏のスピリッツは、技術の極限に挑む冒険家にも似ている。
装備や体力も考慮せず、目の前に絶壁が立ちはだかれば遮二無二よじ登ろうとする。 迂回的なルートを考えるような生き方は徹底して嫌った。

水冷を主張する若い技術者を、迂回的な方法に逃げようとしていると思ったに違いない。 若手研究者のプレッシャー。
H氏により、S氏の計画は無理やり挫折させられた。 しかし、こうなればプレッシャーは若い技術者の方が強くなる。
自分達の言い分が通った以上、群を抜いたエンジンが開発できなければ自分たちの敗北になるからである。

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